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私としては、同一生年月日に生まれても、ほとんどの人が自分に見合った人生を送り、同じような運勢をたどっている人は少ないのではないかと考えています。 それは、ひとりの人間の運勢に及ぼす影響は、一つには、生年月日で表現されます四柱命式の影響が6割、二つには、その人の先祖の陰徳、家庭環境、親の教育、その人を取り巻く人間関係、それとその人がどういう思想を持って何に志したかということも決して無視できない要素でありまして、それらの影響が4割程度あるのではないかと考えています。(このあたりは人によって考え方が違います) 人間は万物の霊長であり、天地の徳を生まれながらに備えていますので、全ての人に無限の潜在能力が秘められ、その能力の発掘次第では、いかようにでも人生はなり、ひとりひとりの人間が自らの運勢を作っていく主人公であると考えています。 よしんば、四柱命式が、その人の運勢に100パーセント影響を及ぼすとしても、同一生年月日の人は、やはり違った人生を送っているのではないでしょうか。 月支が偏財で日支に比肩、月上に比肩があるとした場合で、若干補足説明しますと、 男性の命式なら、@〜Bのようなことが言えます。 @ 父親と縁が薄い。 A 財に縁が薄い。 B 女性に縁が薄い。 しかしながら、いくら破格に準じたような命式でありましても、@〜Bの事柄がすべて人生上で起きるとは考えられません。 ◇ ある人は、父親と早くに死別したけれども、妻とは縁が厚く、財にも縁が厚い。 ◇ ある人は、父親は健在であるけれども、妻とは早くに生死別した。 ◇ ある人は、商売の営業はうまくいっているけれども、父親と早くはなれ、妻とも生死別した。 ◇ ある人は、父親が健在で、妻もしっかりした働き者であるが、事業上失敗をした。 実際には、同じ生年月日に生まれましても、このようにいろいろな人生を歩んでいるのではないかと推測されますが、これらのことを四柱推命学を全く知らない人が見たら、別々の人生に見えますが、四柱推命学を学ぶ者の立場から見ますと、同じ財が弱いという人生ではないかと考えられます。 ですから、財のエネルギーがたとえどんなに弱くても、かなり幅のある解釈をする必要がありますので、何が何でも財に関することは全てマイナスであると解釈するのは、危険性があります。 どうしてこのようなことが起きるのかということを、形而上学(目に見えない世界)で考察しますと、財のエネルギーが弱いという事実がありますと、確かに、全ての面で財に関することは弱いと見るのが妥当でありますが、これはあくまで、目に見えない理念の世界でのことであります。 それを形而下(目に見える世界)での具体的な生活上の問題として当てはめますと、相当のゆがみやひずみを生じ、形而上の理念がそのまま現象世界に投影されていないということです。 ですから、四柱命式を解釈する場合にも、そのあたりの問題も含め、かなり幅のある考え方をしないと、四柱推命学は当たらないということになります。 このひずみは、ちょうど、人物を写真にとったようなもので、写真はその人を写してはいますが、あくまで二次元の世界に限定されて写っているものであり、本物(形而上学の世界)とは似てはいますが、決して本物ではありません。本物の人間のように厚みはなく温もりもありません。 このように、形而上の純粋な理念が、そのままそっくりに形而下の世界に投影されることはないので、そこにひずみが生じてしまうということです。また、そのひずみもピントの合った写真もあれば、ピンぼけの写真があるなど、さまざまな内容のひずみとなって現われているのが、現実の世界ではないでしょうか。 四柱推命学の研究学徒の少しで参考になれば幸いです。 |
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